最初にカカオを食べたのは何だと思いますか? 人? いいえ。最初にカカオを食べたのは、人ではなく猿だったのです。古代メソアメリカの最も暑いところで、この明るい朱色のラグビーボールのような形をした実は木にぶら下がり、ゆらゆらともぎ取られるのを待っていました。猿はその丸い実の果肉がとっても甘いことを知っていました。古代メソアメリカ人は猿を見て、木のところを通り過ぎるときにその実を取っていくようになりました。
カカオの甘い実はアプリコットやメロンのような味をしていました。しかし、実の真ん中にある豆(もしくは種)は苦くてとても食べられそうにありませんでした。なので猿たちは、実だけを食べて種はそこらへんに吐き捨てていました。古代メソアメリカ人も猿を真似て、種は食べずにおいしい実だけを食べていました。これがカカオの繁栄につながりました:種はメソアメリカ中にバラ撒かれ、中南米中にカカオの木を実らせ、それがカカオの発展に繋がったのですから。
いつカカオの豆がチョコレートとして使われるようになったのか、というのはわかっていません。それは全くのハプニングによって、一握りの苦い豆が火の中に落ちて焼かれ、古代人がそれを捨てるのをもったいないと思うぐらいの甘いにおいを発したときだったのでしょう。もしくは、カカオの果肉が「カカオチカ」と呼ばれる発酵物になるとき、豆も同様に発酵し、味も甘くなり、よりおいしくさせたのかもしれません。
しかし、カカオがただの苦い豆から甘い食料へと変わっていったのはオルメク文明の時だとされています。
中南メキシコの熱帯低地から来たオルメク(紀元前1200年〜f1 300年)と呼ばれる古代民族は、カカオを自ら栽培できるようにし、その豆を使えるようにした最初の民族でした。彼らは体に良さそうなその苦い種に『カカワ』またはカカオと名づけました。
カカオの豆は紀元前600年もの早くから、オルメク文明の食事になくてはならないものでした。
メソアメリカ文明の中で、マヤ人は最も文化的に発達した人です。マヤ文明の初期(紀元300〜f1 900年)にはもう、ピラミッドの形をした荘厳なお寺や宮殿、21世紀の終わりまでも計算されたカレンダー、何千もの書物を埋め尽くすような複雑な文字を持った都市を築いていたのです。彼らはまた、本当の意味で最初にチョコレートを愛した民族であり、栄養源としてだけでなく、回復力があり気分を高める万能薬としてカカオを採っていました。カカオは彼らの社会において重要な役割を占めるようになり、神聖な儀式にも用いられ、贈りものとして授けられ、彼らが語る神話にも取り入れられたのでした。
当時どれほどカカオが重要だったかというのは、古代の墓への捧げ物であった花瓶から知ることができます。その花瓶にはチョコレートの飲み物が用意されている絵、マヤの神がカカオ豆を勝ち取っている絵、王様がカカオでのおもてなしを待っているといったような絵が描かれているのです。
しかしさらに印象深いのはこれらの花瓶の中に残っているものです。考古学者たちはその中にカカオの存在を証明する古代の化合物の形跡を発見しています。
チョコレートはマヤの宗教においても重要な役割を果たしました。マヤの聖典「Popul Vuh」に出てくる創造のストーリーは、聖書のようなりんごの木ではなく、カカオの木なのです。この神話では、ボール遊びをしている不死の双子が死神に首を撥ねられてしまいます。1人はカカオの木に首を引っ掛けます。その魔法の頭は双子の神の母となる女性と結ばれます。この二人が死神を負かし、天に昇って太陽と月となるのです。
マヤ人は、今日私たちが知っているいわゆるチョコレートバーを作ったのではなく、豆を荒くペースト状にすりつぶし、泡立てた苦い飲み物のバリエーションを作るのにスパイスや水、チリなどと混ぜ合わされたりしていました。もしくは、薄くて湿気たものから分厚くて固いものまで変化するポリッジ(麦を煮たお粥のようなもの)のような食事を作るのに、カカオ豆にトウモロコシと香料を混ぜていました。これらの食事は栄養価がとても高く、健康にもよかったのです。しかしそれらは現在の私たちの口にはまったく合わないようなもので、現在のチョコレートとは程遠いものでした。
紀元900年には、マヤ帝国を滅ぼそうとする新しい部族が現れました。トルテカ人と呼ばれるその部族は、ユカタン半島と他にも多くの土地を占領していました。これらの部族間の争いのほとんどは、カカオの多い土地を管理する者と、カカオの貿易権を持つ者を決めるためのものでした。
カカオを神からの贈物とみなしたのはトルテカ人も同じで、ケツァルコアトル神が人々にカカオ豆を授け、栽培の仕方を教えたのだと信じていました。ケツァルコアトル神は死人にこの神がかり的にでおいしい食べ物を捧げたがために、他の神に追い出されてしまいますが、再び戻ってくることを約束します。この伝説はアステカ族の時代まで何世紀も続き、スペインのコンキスタドール(征服者)であるコルテスが16世紀にやってきたとき、アステカの偉大なるモンテスマ王は「ケツァルコアトル神が戻ってきたぞ!」と信じて疑わなかったそうです。
アステカ族は14〜f1 16世紀の間に15万人規模の帝国を築きました。彼らの社会は貴族的で、チョコレートは富豪や貴族にしか与えられないものでした。実際、アステカ族はカカオ豆の価値を高く評価していたので、貨幣としても使われていたほどです。カカオ豆は、アステカ族が滅びた後も長い間、1858年まで通貨として使われていました。
原住民にとって「貨幣」として使われていたカカオ豆。アステカ族の交換価値は以下のようだったと思われます

詐欺もあった!?
いつの時代もなくならない「ねつ造」という詐欺行為。古代文明でもカカオ豆でそのねつ造をやっていました。偽装のカカオ「コイン」が実際に使われていたのはアメリカに渡る前の時代の話です。詐欺師たちは空のカカオの殻を持ってきて、土を詰め込み再び組み立て、本物としてつかませるようなことをしていました。まったく、困ったものです。。王族の倉庫にはこの貨幣でいっぱいの「金庫室」がありました。これらの豆の一部は王の給仕たちに給料として支払われました。その他の豆は王の飲み物になりました。モンテズマ王は一日に50杯もチョコレートを飲んだといいます。
アステカ族もマヤ族がそうしたように、チョコレートを液状で食しました。それは泡立った冷たいものでした。その泡にはチョコレートの大切な成分が含まれていると信じられており、泡を作り出す儀式の様子はアステカ時代の絵にも見ることができます。彼らはチョコレートを混ぜて泡立たせるために、器から器へ、前や後ろへ次々に移していったと思われます。今もなお、多くのメキシコ人がチョコレートの泡にこそ価値があると信じているので、至福の一杯を作るために、カカオ豆をすりつぶす前に硬くさせ、白くなるようにしています。
この時点ではまだ、チョコレートはただのどろどろした苦い飲み物で、トウモロコシやスパイスと混ぜていました。
しかし、スペイン人が新世界にたどり着くと、チョコレートの世界は大きく変わりはじめるのです。

