19世紀の産業革命はチョコレート革命とも言えるほどチョコレートの形を変えた大きな技術の革新でした。
今日ハート形のギフトボックスに入っているようなクリームたっぷりのボンボンチョコレートの王様のように、最初の板チョコレートが生まれました。粉末ココアは一般家庭の食料となり、チョコレートのデザートは庶民的なものになりました。

時代背景

板チョコレートが発明されはしたものの、南欧のほうではまだチョコレートは手で作られていました。1870年の南フランスでは、チョコレートは、家から家へ商品を売り歩くような外回りの営業マンのように働く専門家の手によってメキシコの「メタテ」ですり潰されていました。

チョコレートを作る際の問題の一つは、表面に浮いてきたココアバターを蒸発させて掬いとる必要があることでした。
1815年に、コンラード・バン・ホーテンという名のオランダ人化学者が、ココアバターを取り除き、粉状のチョコレートを作るより良い方法を模索しはじめました。1828年に、彼は、ずっと変わり続けてきたチョコレートの製法を考案しました。彼のその水圧による製法は、今はココアプレスとして知られているもので、チョコレートの液体からココアバターを分離させるものです。残ったものは豆本来の栄養分を残したココアパウダーとなります。

彼はさらに研究を進めました。チョコレートをもっと混ぜやすくするため、ココアパウダーにアルカリを混ぜました。こうするとココアパウダーはより黒っぽい見た目になり、それだけでなく、マイルドで、キツくない風味になります。
これが、『ダッチング 』として知られる工程です。

ココアパウダーは特別難しいことをしなくても水と混ぜるだけでチョコレートの飲み物ができるものです。簡単に箱に詰めて売ることができ、チョコレートが大量に生産されることを可能にしました。チョコレートはもはや金持ちだけのものではなく、万人のごちそうとなったのです。

 

クェーカー教徒はだいぶ昔にさかのぼったところでカカオ豆と関係がありました。
彼らは宗教的、道徳的な信念により、職業の選択に制限がありましたが、医者や薬剤師のような医学的な専門家になるには制限はありませんでした。チョコレートは、その健康への効能を認められていたので、医者の治療鞄の中にあるメジャーな配合物でした。なので、初めてチョコレートで事業を起こした人の内の何人かは、クェーカー教徒なのです。

ブリストルの「フライズ」は18世紀中頃からチョコレート製造者の多くの世代を作り出したイギリスのクェーカーの一族です。1847年にジョセフ・フライは粉ココアとココアバターを分離して混ぜ合わせ(もちろん砂糖込みで)、簡単にバーの形にできるようにペースト状にする道を切り開きました。粉は水と混ぜ合わされ、作りやすいように分厚く、濃厚にされます。フライは、余分なココアバターとココアペーストを混ぜ合わせることにより、チョコレートは持ち運べるほどの固形の食べ物になることを発見しました。

フライはこれらの新しい、チョコレートバーのことを、そのスタイルを表すためにフランス語を使って、「Chocolat Delicieux a Manger」と呼びました。全てのバーはあらかじめミルクや水に溶かされていました。これが調理を施さなくても食べることのできるまさに最初のチョコレートバーです。それは急速に広まりました。フライはすぐに世界で最も大きなチョコレートの製造業者となったのです。

 

スイスがチョコレートで有名な理由の一つは、チョコレートの製造を完全なものにした重要な発明が誕生した所だからです。

フィリップ・サッチャードはココアペーストと砂糖をなめらかに混ぜ合わせるハードな作業をこなす最初のチョコレートブレンドマシーンの「メランガー」を開発しました。

化学者のヘンリ・ネスレは蒸発脱水作業を通して、粉のミルクを作る工程を開発しました。彼はチョコレート製造家のダニエル・ピーターと協力し、1879年に最初のミルクチョコレートバーを作るために粉のミルクとチョコレートを混ぜ合わせました。

同じ年に、ルドルフ・リントは「コンチェ」と言われる機械と、粒の粗さに差のないように輝かしくクリーミーなチョコレートを作るのに必要不可欠な、精製工程である「コンチング」として知られる工程を開発しました。
リントは彼の従業員の一人が誤って機械を一晩中動かしてしまった時にこのコンチングを発見したという言い伝えがあります。

これらの進歩はスイスをチョコレート製造業のリーダーにし、19世紀を通して、そのほとんどを輸出用に、年にスイス市民一人あたり5トン440キロも製造しました。

 

19世紀初頭には、政府が定めた食事の法律はありませんでした。その結果、チョコレートを含む多くの食物のうち、何の添加物もない「純粋な」形のものを見つけるのが困難になってしまいました。ココアパウダーやココアバターはとても高価で、イモでんぷんや大麦、小麦、米のような他の成分を加えることで、客を騙す多くの方法を見つけたよこしまなチョコレート業者もありました。なんとカカオの皮や土さえも混ぜ合わされていました。

 

トリノはチョコレートで有名です。ナポレオン戦争時代にはカカオ豆は収穫難だったので、人々はそれに変わる方法を考えました。
「需要を持続させるために、すり潰したヘーゼルナッツを加えたのです」。
結果、その方法は広まりました―u8213 チューブ型の甘い砂糖の混ぜ物、ビターチョコレートと「givu(切り株という意味 のイタリア語)」と呼ばれるヘーゼルナッツのペーストです。後にピードモント高原の謝肉祭のためにマスクが作られ、それが「リトル・マスク」または 「ジャンドゥオッタ」という名の由来です。
今日ジャンドゥーヤは、ヨーロッパでもポピュラーでアメリカでもファンを獲得しています。